2021-10-15 練り直し、誰もいない廊下、白鷺の記憶
18:18
いつも1週間のうちのどこかで内容を組み立てるのだけれど、最終的に参加くださる方を見て動きを加えたり、抜いたり、時には総入れ替えする。大きなテーマは動かさない。それに沿いながら微調整をする。
今回は椅子に座ったままできる自律神経に働きかけるようなストレッチ。背骨を動かすので体を温めるし、呼吸を意識するので血の巡りがよくなり、上半身も楽になる。
不安感があったり眠れないときにも、ゆーっくりやると良いような動き。
16:46
ナママスラジオの音声テストで協力者を募っていたので、久しぶりにジュンさんとちらりとでも話したいなーと参加させてもらった。 思いがけず長く話してしまって、ラジオの本題を楽しみにされていた方には大丈夫だったかと少し心配になったりしつつ、終わってから聞いておられた方に温かい言葉をかけていただいて嬉しい。
13:15
下窪さんによれば、ここを更新している時にはリアルタイムでそれを見ることができるみたい。
そういう場面に遭遇したら面白いんじゃないかと思ってこのメモは一日中公開にしてみているのだけれど、果たして面白がっている方がいるのかは分からない。
まあいい、私自身がなにかそこに面白味を感じているのだから。
とはいうもののいったい何を面白いと思っているのかはっきりとはわかっていない。自分のプライベートを必要以上に見せていると受け取られるのではないかという懸念はあるし(もちろんここは見られているという前提でしか書かないわけなので私の方には問題はないのだけれど)、ただ中途半端なものを見せようとしているだけなんじゃないか、という気がしないでもない。
あいちトリエンナーレで開催されていた10分で遺書を書く、その過程が録画されている作品のことを思い起こす。
話をする時にはひとは何かを言い淀んだり、言い換えたり、訂正したり、行きつ戻りつ何かを伝えるわけだけれど、その過程が出来上がった文章にはない。文章でもそれが見られると面白いんじゃないかなということは以前から考えていて、ただそういう「出来上がり」でもないものを見せるのは気が引けていた。…のと、何が面白いのかうまく説明できないというのもあって。
今どこかでこのひとも何かを考えているんだな、というほんの些細な糸をどこかにつなげたい気持ちがあるのかもしれない。
わからない。ラジオみたいなことに近い気がしているきもする。
むかしから、ドアののぞき穴でから誰もいない廊下を覗くという行為が怖い。 この行為のどんなところが、どんな風に怖いのか自分でもはっきり掴めない。怖いと表現していいのか、ちいさな興奮や嫌悪なのか、歪んだ好奇心なのかもよくわからない。
自分がおばけの目線になっているという感覚、自分の姿を現さずに、見られているとは知らない誰かを見てしまえるということにぞっとしているのかもしれない。
もしかしてここを見ている人が、私が文字を打っているまさにその時に遭遇して、そういう種類のぞっとする感じを味わったら…と思うと心配ではある。
13:11
花が枯れるのをみると思い出すひとがいる。
風でみずみずしい苗がたなびく田んぼを、白鷺の群れがわたってゆく。
強い風に後押しされてあっという間に後方に飛び去る白い腹を、私はふりあおぐ。
みどりと泥と水のあらあらしい匂いが遅れてやってくる。
現実におこったことのない風景だが、その記憶も彼女からもらった。